viernes, 23 de enero de 2009

羅生門解釈 (RASHOOMON)





あの世に超える真理

 芥川龍之介は書いた『薮の中』が人間的であり殺人事件のテーマで背景は真理というのは何だということだと思います。私は多襄丸、女、と死霊の話に中心し、真理というものが人間はあるとしているけれどもつまり相対のものなのです。
 多襄丸の話に関して彼は男を殺したくなかったが女が性的の希望を狙われたためのせいで結局男を殺した。自分の評価を考えた上で話を作ったと思います。どうしてといますと彼は泥棒であり野生の生活を過ごしてきたからです。合理的な話だけど事実と言えません。男の視点もあります。女に惚れてしまいましたので恥ずかしかったと思います。それ故に男と戦って殺した後にその女消えてしまいましただと話した。
 女の話は多襄丸と比べると大きいなちがいあります。乱暴を受けて自分の主人に近づいて慰めてくれると思ったのにその主人が軽蔑された。しがって、恩ならしいの話を作ったと思います。自分の立場危ないであったら気を失ったという話出てくるからです。そして、心中の話も面白いと思います。それで裁判官は納得出来るように作っただと思います。しかしその女は自分の命を奪わなかった。
 三人の証言はあの女の主人でありあの世から巫女を通じて話してくれました。自分は情けないことで希望を捨て自殺をしたと言います。さらに、その女に愛情があり乱暴を受けたことに関して仕方が無いと思ったけどその女に裏切った。それ故に自分の命も価値がないで自殺したと言いました。この話は自分の身分に合わせたと思います。侍であり彼の恥ずかしいことを隠せないその女房と暮らそうと思っていたのに乱暴されたことは許せません。それで自分が犠牲になった話を作った。この話は死霊が言いますと普通に真理であることが間違いありませんが今回私は多少疑います。つまり真理というのは人間が作った概念として自分のために使われるものです。自分しか自分のしたこと分かりませんので反省するべきだと思います。人間は不完成であり、にもかかわらず人間であります。真理は理想で嘘みたいです。それを芥川さんは分かってほしかったと思います。

黒沢さん作った映画「羅生門」に付いて

 内容として薮の中と良く似ていますがただ名前が違います。黒沢監督も真理に対しての映画を作ったと思います。だが最後の場面には坊主は赤ん坊が木こりを渡すことの意味、私には、人間にまだ信用を出来るということです。そして、その赤ん坊は次の世代の象徴だと思います。次の世代に希望を持って人間が良くなり将来は明るく見えるように映画を作っただと思います。つまり、真理というのは相対であるかも知れないが人間に信頼出来るのは決心です。

ヤング・カルロス




1 comentario:

  1. Y por ké ya no escribes?
    aunke sea en Japonés.
    Ya empezaste... no pares ahora.

    Abrazo

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